よいことを広めよう

あけましておめでとうございます。檀信徒各家におかれましてこの一年が平穏無事なものとなりますことを謹んでご祈念申し上げます。(本紙を賀状代わりとさせて頂きます)


新年ですので明るい話題を…と思うのですが、どうも「コロナウィルスが…」という話になりがちな自分を感じます。とここで気付いたのですが、日常において挨拶代わりの言葉は「コロナ禍ですが、いかがですか?」になりがちですし、最後の言葉も「コロナ禍が続きますがお気をつけ下さい」というふうになりがちな気がします。


これまで各種報道や知り合いの知り合いの話としてコロナに罹患して…ということは耳にしてきましたが、第八波に入ってから身近でも罹患したという話を聞くようになりました。知り合いのお寺さんはその一人です。症状自体は普通の風邪程度で済んだそうですが、そのお寺さんは私の知り合いの中では最もコロナウィルスに注意を払いなおかつ対策もしていた人でしたので、私としては「あれだけ注意を払っている人が罹患するくらいだから本当に流行っているのだなぁ」と実感せざるを得ませんでした。比較的軽症で済む場合が多いとは言え後遺症が残る場合も少なからずあるようですし、罹患しないに越したことはありませんので、お互い気をつけて日常を営むようにしましょう。


さて、コロナの伝染力には驚くばかりですが、この様子に私は思い出す言葉があります。それは昨年遷化された楢崎通元老師が三十年近く前に仰った言葉です。

どこの世界でもそうでしょうがお寺の世界にもよい風習とよろしくない風習というものがあったりします。通元老師はそのよろしくない風習に関して「よいことはなかなか広まらんが、悪いことはすぐに広まる」とぼやいておられました。そのことをふと思い出したのです。

コロナウィルスも人間にとってはよろしくないものでその伝染力は凄いわけですが、私がここで挙げたいのは政治家を中心とした人々の逃げ口上というか言い訳というかその醜さの素早い蔓延です。枚挙にいとまありませんが『募ったが募集していない』あたりからでしょうか?きちんとした答弁をせずに詭弁で逃げる…という手法は瞬く間に政治家の世界で広がりましたよねぇ。後にご飯論法と揶揄されることになるごまかしの答弁も然り。さらに「丁寧な説明」という無内容ではぐらかすことだけに「丁寧」な説明も然り。その一連の流れの上にあるのでしょうが「回答は控えさせて頂きます」的手法を政治家が多用しているな…と思ったらすぐに企業が使うようになりましたよねぇ。通元老師の言を待たず本当に「悪いことはすぐに広まる」ものですね。

このことを私なりに僧侶として考えてみますに、人間というものは煩悩に染まりやすいということなのだと思うのです。煩悩というよろしくないものは素早く広まるものなのです。だからこそ人間には修行とまでは言わないまでも学びが必要なのです。煩悩を堰き止め、よいものを広めていけるような力を養う必要があるのです。それは即ちお釈迦さまや道元禅師の教えに耳を傾けるということです。私は一僧侶として人々が煩悩の大海に沈淪する様子を見聞するにつけ最近とみに強く、人間には修行が必要だ、学びが必要だ、と思うのです。

さて今はお正月。一年の計は元旦にありではありませんが、人は煩悩に流されがちだからこそ年の初めに思いを新たにする必要があるように思います。

心爽やかにそして煩悩と縁遠い一年にしませんかと皆さんにご提案したいと思います。どうせ感化されるなら煩悩ではなく清らかなお釈迦さまの教えに感化されようではありませんか。そしてその清らかさを以て人様にもよい影響を与えようではありませんか。

煩悩の強力さを嘆いておられた通元老師は死生不離叢林…生涯修行に勤められた方であられました。老師の如くとまではいかないまでも、清らかさを志す一年を皆様と共に歩めればと切に願っております。