値上げ値上げ値上げ

ここ数年世の中は値上げ値上げ値上げのような気がしませんか?年が明けて以降も値上げラッシュが続いており、主要食品メーカー百社だけで今春七千品目以上の値上げだとか…何とも世知辛い世の中です。また自動車販売においては受注停止が頻発しているそうで買いたくても買えない状況、そのあおりで中古車市場も高騰…コロナ禍も含め本当に世の中が大きく変わってしまった気がします。

食品類については値上げも大打撃ですが、以前より内容量が明らかに減っている気がしませんか?少しでも値上げ幅を小さくするための企業側の苦肉の策なのかもしれませんが「えっ、これだけしか入っていないの?」という商品が増えた気がするのです。私などはたまの楽しみで買ったお菓子なのにその量の少なさにがっかり…気持ちにも大打撃です(涙)

また先日見たテレビ番組では外食カレーが大幅に値上げされているという特集をしていました。原因はウクライナへの侵攻に端を発する問題だけではなく国内問題も含んだ世界中の諸問題が絡みあい、大幅に値が上がっているのだそうです。庶民の味方と思っていたカレーもそのうち高嶺の花になってしまうのでしょうか?値上がりしているのは外食のカレーだけではなくレトルトパックもだそうです。私が好んで食べているオリエンタルのマースカレーのレトルトも何と三月から値上げとなったそうで…切ない気持ちです。

昭和的な「右肩上がり」という発想が遠い昔になってから久しいですが、「安定」という言葉も死語になっていく或いはもうなっているのかもしれませんね。今どきの若者は現在の生活のみならず老後のことまで今から心配しているという話題を耳にしたことがありますが、右肩上がりでもなく安定もない明るくはない未来しか見通せないとなれば、若いうちから老後を考え備えざるを得ないというのも致し方ないのかもしれません。そういう時代は勿論他人事ではなく私朴宗も老後どころか今を生き抜くだけで精一杯という感じです。

こういった世の中は「不安まみれ」とも表現出来るかと思いますが、だからこそそういう時代だからこそ「不安に溺れない」ということが大切なのではと私は思っています。そしてこの「不安に溺れない」というのは(皆さんからすれば意外かもしれませんが)実はこれこそが仏教の眼目なのです。それを示すが如く観音様には「施無畏者(せむいしゃ)」≒「不安に溺れないようにして下さる」という異名があるのです。常圓寺(並びに東照庵)の御葬儀でも観音様のお経をお唱えしますが、親族の死という不安に溺れぬようにという願いもそこには込められているのです。

しかしこの明るくはないご時世…よくよく考えてみると仏教が説くところの「諸行無常」の一側面に他なりません。この「諸行無常」を、本紙二面にてそのエッセーをご紹介している太田久紀先生は「全てのものの移り変わる真相」と表現されました。水戸黄門的に言えば♪人生楽ありゃ苦もあるさ~♪といったところでしょうか。

 その諸行無常の理から考えれば「右肩上がり」も「安定」も一側面ではあります。しかし私たちが願うのは「恒常的な」右肩上がりや安定であり、これは諸行無常の理に反する…即ち私たちが勝手に抱く幻想・煩悩にしかすぎないということなのです。
また遠いどこかの国のあり方に私たちの生活が影響を受けるということは、仏教で説くところの「諸法無我」の表れとも取ることが出来ます。ちなみに太田先生はこの諸法無我を「全てのものの支え合う真相」と表現されました。それは即ち、この私一人のあり方もまた世界に影響を与えている・支えているということなのです。

ですから「こういう世の中だから仕方がない」でもなく「俺だけ何とか得をしてやろう」でもなく、清らかなる願いを以て生きる…このことこそが大切なのではないか?私は一僧侶としてそう思うのです。