こころの世界を観る~その3~

 唯識(ゆいしき)の典籍『法相二巻鈔(ほっそうにかんしょう)』について太田久紀先生の講義録に従ってお伝えしていくシリーズの第三回です。今回は『唯識とその歴史』について。

 今回は最初に『唯識』という単語に注目してみましょう。この唯識という単語が意味するところは「唯(ただ)識(こころ)である」ということです。即ち私たちの人生において心が大事ということを非常に強調する仏教が唯識だということです。物も大事だが心も大切にというのではなく、むしろ心が根本だと。あらゆるものごとは心を離れないと。仏教を開かれたお釈迦様は弟子たちと一緒に生活をし、弟子たちと一緒に托鉢をし、弟子たちと一緒に修行をし坐禅をされたわけですが、そういったことを通じて自分の心・己の心、それを深めていくこと、それこそが自分の人生を作りあげてゆく唯一の道だと、こう思われたのです。ですからお釈迦様の教えというのは、人の心の教えである、人の心を掘り下げていく教えであると、こう言ってもいいと思います。現実の私どもの心というのものは、どういう仕組みで出来ているのか、何故、私の心の中にはこんなにお釈迦様の教えに背く心が住んでいるのか、そういうことを真剣に求めていったのがこの唯識という仏教なのです。

 でここからはそういうお釈迦さまの思い・教えが歴史的にどう発展していったか?という歴史的なお話です。お釈迦様の教えを心の観点から唯識という教えにまとめ上げたのは無著(むじゃく)さんと世親(せしん)さんという二人の学僧です。ちなみにこのお二人は兄弟で兄が無著で弟が世親です。

 多分このお二人の名前をご存じの方はおられないでしょうが、もしかすると中には見たことがある方がおられるやもしれません。というのは阿修羅像で有名な奈良の興福寺にこのお二人の像があるからです。特定の期間しか公開されていないようですが、皆さんも奈良に行かれる機会がございましたら是非お参り下さいませ。私朴宗も大分前のことですが無著像・世親像にお参りしたことがあります。唯識を学んだ一人としてとても感慨深かったことを今でも覚えています。

 この世親が唯識について説かれたお経に『唯識三十頌』というものがあり、さらにこれを解説したものが護法(ごほう)さんという高僧の『成唯識論(じょうゆいしきろん)』なのです。今日本で唯識といえばこの護法の流れを指しているくらい偉いお坊様であり、その教えを漢訳したのが前回ご紹介した玄奘三蔵さん。きちんと護法の直弟子・戒賢(かいけん)さんから唯識を学んだ上で漢訳しておられることも付言しておきたいと思います。
日本へ唯識の教えが入ってきて以後ですが、時代が下ってから奈良の興福寺に登場するのが良遍(りょうへん)さん…ようやくという感じですが本連載のテキスト『法相二巻鈔』の著者です。道元禅師とほぼ同じ時代を生きられた方です。

 良遍さんは非常に真面目に勉強なさった大変な学僧であったと同時に、知識だけを求めるのではない求道者であられました。その名高い良遍さんが自らの母に自分の勉強している仏教をわかってもらおうと、手紙で唯識の教えをこんこんと書き綴られたのです。そして当時はそれが普通だったのでしょうか?お弟子さんが清書されたとのこと。その際にお弟子さんが『これは素晴らしい内容だからお母様だけがご覧になるのでは勿体ないのでは?多くの人に読んでもらったほうがよいのではないか?』という密かな思いをもって書写されたのです。そして良遍さんが亡くなられた後でまとめられた…これが『法相二巻鈔』なのです。しかし令和の世を生きる私朴宗からすると、私信を公開するのはちょっとこれはプライバシー的に如何なものか?と思わなくはないわけですが(笑)

 さて太田先生はこの『法相二巻鈔』についてどう評しておられるのか?ということを最後にご紹介しておきたいと思います。
『ややこしいともいえるこの唯識という仏教を噛み砕いて自分の言葉で丁寧にお母様にわかって頂けるように…しかしわかりやすいから程度を落としているのか?というとそんなことはまったくなく難しいことを日常の言葉で端的に表現しておられる。唯識の教えが本当に身についておられる良遍さんだからこそ、唯識という仏教の非常に大事な教えを実に見事に書いておられるのです』(趣意)…このように評しておられます。なかなか本編までたどり着きませんが、次回以降も太田先生の講義録に従ってご一緒に学んでいきたいと思います。