御功徳にあやかる

『暑さ寒さも彼岸まで』とはよく言ったもので、梅を皮切りにもう春なのだなと感じる時節となりました。最近は桜も三月中に満開という年が増えてきましたので、この寺報が皆さんのお手元に届く頃にはもう桜が満開になっているかもしれませんね。

さて私事となりますが三年前の令和五年は私にとっては見送る一年であり、二月には義父を十二月には実父を見送りました。そして昨年には無事三回忌を終えることが出来ました。

よく檀家の皆さんには「ご供養の気持ちがあってもなくても最低限三回忌まではお勤め下さい」とお話ししています。そうお願いしている立場として、無事三回忌まで終えられたことにほっとした気持ち、安堵を覚えています。

そして先月には義父の祥月命日が再び廻ってきたわけですが、そこで新たに感じたことがありました。ご供養というのは勿論ご霊位に真心を捧げることに他ならないわけですが、その御功徳にあやかっている自分を大切にすることでもあるのではないか?そのように感じたのです。

血の関係であれ義理の関係であれ、近い関係であったことには違いないのがご先祖様です。ということはご先祖を大切にするという世界を広げていくとその先には、ご先祖を機縁としたご縁も大切にするという世界が開けてきます。そして今のこの私という存在もまたそのご縁の中にある…こういう世界が広がってくるのです。そのご縁の中に生きている私自身を大切にすることも、同じように大切なはずです。私たち日本人は自己犠牲を必要以上に美しく捉えがちで、自分の大切さを若干蔑ろにしがちなような気がするのです。

しかしよくよく考えてみるに、ご先祖様を大切にするという営みは、《この私も含んだご縁全体》を大切にするということでもあるはずです。そうです、ご先祖の御功徳にあやかって自らを大切にすることも忘れてはならないということなのです。

丁度今はお彼岸…ご先祖様に思いを馳せる時節ですが、それはこちら岸(私たち)からあちら岸(ご先祖様)を思い出すことですよね。しかしご先祖様側から見ればこの俗世間こそがあちら岸「彼岸」であり、その彼岸にいる私たちにご先祖様が思いを馳せる時節でもあるのではないだろうか?そんな風に思うのです。

そして「彼岸」という言葉には「お悟り」という清らかなあり方も含まれていることも忘れてはいけません。ご先祖様から見れば私たちの世界こそが「彼岸」というお悟りの世界。では私たちは自らの人生をお悟りたる彼岸と為しているでしょうか?もっと平易に言えば、ご先祖様が「そっちのみんなも元気に安穏に生きているなぁ」と思ってもらえるような日々を送っているでしょうか?

こう述べますと、中には「そんなお悟りなんて縁遠いものを言われても」と思われるやもしれません。しかし仏教では、泥の中から顔を出し美しい花を咲かせる蓮の如く、俗世の私たちもお悟りという清らかなあり方を咲かせることが出来ますよと説くのです。

改めて時はお彼岸です。お彼岸とはこの時節を機縁として、彼岸を彼岸となし此岸も彼岸となす…そういうことを願う時節なのではないでしょうか?ご先祖様に祈りを捧げることを通じて自らの蓮の花を咲かせ、その安穏を以てご先祖様に安穏をお届けする…そのような時節なのです。