直葬への違和感

この頁では仏事に関することを多くここまで書いてきました。今回は先日私が感じた違和感をきっかけにお話ししてみたいと思います。

先日川口市周辺を車で走っていたときのことです。自分でもよくわからない、もやもやっとした違和感を感じました。どうも通り沿いにあった葬儀社がその原因のようでした。
その葬儀社の前には宣伝用のぼり旗が二本立っており、風の関係で旗が裏返って文字が読みづらかったものの多分一本には「一日葬」の文字が、そしてもう一本には「直送」の文字が書かれていました。

皆さん、違和感を共有して頂けましたか?「直送」?…そうです「直葬」ではなく「直送」だったのです。

更に言えば他の商売であればいざ知らず、葬儀社にのぼり旗…このことにも違和感を覚えたのだと思います。ですので私は一瞬「葬儀社だけど、何かの産地直送販売もしているのかな?」とも考えたほどです。

それはさておきこの「直送」という間違い表記に、私はこの時代のあり方を感じたのです。ある種の本質がそこに潜んでいると思ったのです。

多分世間一般的には「直葬」は「最近よく聞くようになった葬儀の一形態」という認識の方が多いのではないかと思います。しかし宗教者である私の認識は違います。以前の寺報でもお伝えしていると思いますが
『直葬とは故人を処理・処分することであり、全く以て葬儀の一種などではない』
…こう私は思っています。

とするとです。この葬儀社が「直葬」を「直送」としているのはある意味この時代らしいのです。お亡くなりになった場所から(一旦ホール等の安置所を経ることが多いでしょうが)火葬場まで「直送」するのみで、あくまで処理処分方法の一種に過ぎないのが「直葬」の現実だからです。

しかし葬儀社は良くも悪くもお商売ですから、一種の方便として(「本当は『直送』なんだけれどもね」と思いつつ)「直葬」というさも御葬儀であるかのような呼び方を生み出したのではないかと私は推測しています。

ですので本質を踏まえるなら、好んで直葬を選ぶ方には「自分は親族の葬儀をしない道を選んだのだ」ということをきちんと引き受けて欲しいと思っています。(※但し経済的事情等により、致し方なかったという方を非難するつもりは勿論一切ありません。また檀家さんで経済的ご事情のあるお宅であれば、供養という一線を守りつつご負担の少ない形をご提案しています。)

但し私のこの意見は「絶対に仏式で葬儀をすべきだ」と言っているわけではありません。私自身は、別に仏教でなくてもよいけれども何かしらの宗教的な法要をすべき…と思っています。

さて一方で、直葬に好意的な方の心中を想像するにどこかには「虚礼廃止」的なお考えがあるのだろうと思います。即ち葬儀なんてものは虚礼だ、だから直葬で十分…大枠ではそういうことなのではないかと思います。

ではその虚礼かもしれない葬儀という法要を導師としてお勤めしているこの私はどう思っているのか?

まずそもそも葬儀は虚礼か?問題ですが全くの否であり、十二分に深い意味・意義があることを私は熟知しています。そしてもう一つ。葬儀を虚礼と思っておられる方の心のありようが、葬儀の虚礼化を招いているのではないですか?と問いかけておきたいと思います。ここに「自分にわからないものは無意味だ」という短絡的な現代的問題が潜んでいるように思います。

大真面目に申しますが御葬儀という法要は、仏教という深い教えに支えられた大切な行いなのです。そのことを皆さんにもご理解頂くべく(法要の荘厳さに配慮しつつ)法要解説を伴ったお勤めをしております。

そしてもう一つ、私は「皆様とともに」ということを大切にしながら、導師と参列者が心を一つと出来るような法要を心掛けていることもお伝えしておきたく思います。