あけましておめでとうございます。檀信徒各家におかれましてこの一年が平穏無事なものとなりますことを謹んでご祈念申し上げます。(本紙を賀状代わりとさせて頂きます)
年頭ですので今年の標語といったものを私なりに考えてみました。
『祈りを礎としよう』
こう皆さんにご提案したいと思います。最近改めて「仏教とはどういう教えなのだろう」と考えているのですが、『祈りの宗教』これが仏教ではないかと感じています。しかし皆さんの菩提寺常圓寺の御宗旨は禅宗の一つである曹洞宗。厳しい修行で知られる永平寺がご本山であり、皆さんが思い起こす修行の様子と言えばやはり坐禅ではないでしょうか?そういう印象からすれば『祈りの宗教』という言葉に疑問を覚えられるやもしれません。
曹洞宗が坐禅に重きをおいている御宗旨であることは確かで、和尚さんによっては「重きをおいているとは何ごとか!坐禅が全てだ!」と言われるかもしれません。
しかし雲水さん(※修行僧のこと)の生活に組み込まれていることを具に見てみると、実は全て「祈り」で成り立っていると言っても過言ではないのです。そして修行で培った祈りの力を礎として、檀信徒である皆様のお宅のご葬儀やお法事も成り立っているのです。ですので永平寺での修行は決して縁遠いものではないのです。
ただ冷笑してマウントを取ることが持て囃される昨今の世のあり方からすれば、祈りは冷笑の対象でありすぐに論破され「祈ってそれで儲かるの?」「祈る暇があるなら動けよ」と言われて終わりかもしれません。しかしそう言われたとしてもやはり私は礎は祈りではないか?そういう思いを日々強くしているのです。
実は永平寺の生活では偈文(げもん)と呼ばれる短い祈りの言葉が生活の各所にちりばめられています。
朝起きたときには『晨朝覚悟 当願衆生 一切知覚 不捨十方』 夜寝るときには『昏夜寝息 当願衆生 休息諸行 心淨無穢』 またお袈裟をつけるときには『大哉解脱服 無相福田衣 被奉如来教 広度諸衆生』 挙げればきりがなく多分修行道場によって親疎があると思いますが、洗面の時・お手洗いに入る時まできちんと定められた偈文があるのです、生活のあらゆる場面に偈文が溢れているのです。
しかし正直私が雲水時代…私は永平寺ではなく四国にある瑞應寺というお寺で修行しましたが…にその重みを理解していたか?というと恥ずかしながら否です。出家して三十年程になる今頃になってじわじわと『日常にある祈りの大切さ』これを感じるようになってきたのです。
ただ皆様からすれば「祈り」という言葉がちょっと堅苦しく大袈裟なものに聞こえてしまうかもしれませんね。そこで『心掛け』と言い換えてみてはどうでしょう。誰にでも心掛けていることはありますよね。人間というものは日常はどうしても煩悩に傾きがちだからこそ、『心掛け』るとすればそれは煩悩から遠い清らかなあり方の筈です。
今回私がご紹介したい『心掛け』は和顔施(わげんせ)というものです。『無財の七施』と呼ばれる布施の一つですが「和やかな表情を心掛ける」ことです。日常ではついつい自分の不機嫌を振り回してしまいがちだからこそ大切な心がけです。和顔を以て家族を和やかに、職場を明るく、世間を安穏に…そういう心掛けです。またここで肝心なのは無理矢理の笑顔ではないということです。自分を大切にした上で自ら溢れ出る和顔を世界に廻らせること、ここが要です。
そしてこの一年が皆様にとって自然の和顔で和やかなものとなること、それが私の願い・祈りです。